秋深き 隣は何を する人ぞ

気づけば既に10月。October。神無月。出雲では神在月っていうらしい。よくよく考えれば2017年も3/4も終わったことになる。旧暦だと秋は終わりもう冬に入ったことになるが東京はやっと秋の気配を見せ始めた頃だ。

 

 

朝、家を出るとふと空気の冷たさに気付く。10月5日の新宿の日の出は5:39らしい。夏至の日の出が4:24だから単純計算でも1時間近く遅く朝が来ていることになる。夕暮れ時、茜色の空に鰯雲が浮かぶ。夕飯、どこかから秋刀魚の焼ける匂い、大根をおろす音が聞こえてくる。夜、外から虫の鳴き声がする。最寄り駅に向かうまでにも金木犀の独特の香気や銀杏の芳烈、道に落ちた紅葉。こう書いてみただけでも日本語の奥ゆかしさ、表現方法はとても独特であるとともに美しくあると思う。昨今「ヤバイ」や「超」、「インスタ映え」「フォトジェニック」など色々な言葉が煩雑としているがたまにはよく考えて言葉を使うのも面白いなと最近よく考える。まぁ昔の日本人も「あなや」や「をかし」など使っていたことを鑑みると今の状況とあんまり変わらないのだろうけど。

秋と云えば日本以外にも四季はあるらしいが日本ほど五感を刺激される四季を持った国はあるのかな。夏を例に出すと視覚は空。セミの鳴き声は聴覚。海水浴は触覚。スイカで味覚を感じて、プール独特の塩素臭や花火の残り香で嗅覚を刺激される。五感を刺激されることで人は季節を実感し、過ぎた季節を思い出す。記憶より五感のほうが記憶を引き出しやすいってこういうことなんだろうな。過去の恋人、好きだった音楽、嫌いになってしまった友人。人生は短い。春夏秋冬、今の平均寿命が凡そ80歳だから人生でそれぞれの季節は80回ずつしか来ないことになる。しかも6歳の春と22歳の春と50歳の春と70歳の春の感じ方は当たり前だけど違うだろう。そう考えると尚更今過ごしているこの時間、人を大切にしなきゃなと再認識する。

 

 

来年の夏はどうなっているかな 誰と過ごしているのかな 
今年の秋はどうなるかな    誰と過ごすのかな

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